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ネイティブにはなれない?
2009/12/02(Wed)
夫引っ越すとなると心配なのは、私の場合は案外言葉であったりする。
東京生まれの私は、関西のイントネーションにあまり慣れていない。くわえて、いわゆる方言も理解できていない。
よく妻に言われて悩むのが「なおしといて」という言葉で、これは関東の人間にとっては「修理しておいて」の意味にしかとれない。ところが、関西の人からすれば「しまっておいて」の意味で発言しているから、いちいち「あ、いま『なおして』って言ったけど、これはたぶん『しまって』ってことだな」というプロセスを経なければ理解できない。つまり、同時通訳している感覚なのである。
私は語学学習がひどく苦手で、その理由として語学センスと耳の悪さが挙げられると思う。センスがないために、言葉をそのまま覚えることができず、たとえ意味を把握する(訳する)ことができても、自ら遣うことは到底できない。
その私がいま最も憧れている言葉、関西ネイティブが遣いこなせるのに私がいつになってもしゃべられそうにない言葉が、「~なんでぅ」だ。
例文を挙げてみよう。和歌山県の役所の方から実際にあった電話で、こういう内容があった。
「和歌山県のかつらぎ町に、農業大学校というところがあるんです」
これを、実際のイントネーションを用いると、このように表せられるか。
「わかやけんのかつらぎちょうに、のうぎょうだいがっこうというところがあるんでぅ」
この「~なんでぅ」というのは、おそらく関東の人間がはじめて聴くと奇異に響くかもしれないが、すごく丁寧な感じがするので、言われると気持ちがいい。もしかしたら大阪では遣われず、奈良や和歌山だけの言い回しなのかもしれないが、私も長年住んでいればいつかは……言えないだろうな。
なかなか(というより永遠に?)ネイティブにはなれそうにもない。

ここまで書いて妻に見せたら、「『~でぅ』の言い方は、説明するときに遣って、相手の同意を求めてるんちゃうん?」と言っていた。妻に言わせると「地域でだいぶちゃうで?」ということだった。そうですか、だいぶちゃうんですね。

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近くの橋の上から。
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ボジョレー・ヌーヴォーはどこへ消えた?
2009/11/28(Sat)
夫いやあ、パーティーではボジョレー・ヌーヴォーを飲むつもりだったが、それがどこへ行ってももう手に入らない。
「どこへ行っても」は言い過ぎで、おそらくコンビニや、ワイン専門店ならまだあるのだろうが、私の近くの酒屋からは消えてしまっている。すべて売り切れということだった。
「今年は近年で最上の出来!」というのは、この時期の酒屋の常套句で、たいていのワインファンなら、「今年もやってるな」と感じる程度なのだが、今年は「史上最高の出来!!!!!」と謳っていて、「史上」という言葉が、どこまでを指すのかわからないし、ましてやどうやって検証するのかもわからないのだが、それにしても、売り手にそうまで言わせる何かが今年のヌーヴォーにはあるに違いない、と少しは注目していた。
そこへ先週末、弟の彼女がジョルジュ・デュブッフ(ボジョレーの帝王)のヌーヴォーを持ってきてくれてみんなで飲んだのだが、それがまあ、本当においしかった。
通常、ボジョレーというのは、「ぶどうジュースみたい」という評がぴったりの果実味溢れるテイストに仕上げているのだが、今年のは、それに加えてしっかりとした凝縮感があり、軽く飲めるくせに充分堪能できる、というかなりハイコストパフォーマンスの出来になっていた。
もちろん、それぞれの作り手によっていろいろ出来上がりが異なるのだろうが、一番ポピュラーなデュブッフの味が優れているのなら、他も期待していいだろう、と考えており、いよいよパーティーが押し迫った昨日、満を持して酒屋に行ったら、「売り切れです」
え? わずか10日ほどで?

どういう背景なんだろうか? 少なくとも今年の不景気ぶりを勘案するに、2通りのことが考えられる。
1. 不景気過ぎて、インポーターが輸入量を減らし、絶対的な流通量が減った
まず考えたのがこれだ。「格差社会」到来にくわえて「未曾有の不景気」だというのに、バブル期のようにお祭り騒ぎなんてしていられるか、という市場のムードをいち早く感じとったインポーターたちが、余計なリスクを出さないようにと自主的に流通量を抑えた……のか?
しかし、「だからこそ」と考えるのが、いや、「だからこそ」と考えねばならぬのが営業マンではないのだろうか。そんな消極的な選択しかできないのならこの先生き残っていくことはできまい。
2. 本当においしくて、それがクチコミで広まり、売り切れてしまった
となると、こちらの方が考えられる。本当に出来がよく、営業マンたちが一生懸命PR を行い、それが見事当たったというパターン。
もしそうだとしたら、これはかなり明るい話題なんではなかろうか。なぜって、こんなに不景気な状況にも関わらず、「ボジョレー解禁」というイベントを愉しむ土壌が出来つつあり、しかも史上最高の売上(と勝手に私が思っているだけなのだが)に成功したのだから。
前にもハロウィンの話をしたことがあったが、日本に今まで根付いていなかった文化が根付いた、あるいは根付き始めている、というのはすごいことなのだ。おそらく関係者の血の滲むような努力が陰にはあったに違いない(そもそも、バレンタインだってはじまりは森永製菓などの打ったキャンペーンだし、サンタクロースが赤い服を着ているのも、コカコーラのせいだ)。
なんにせよ、「不景気不景気」という呪文を呟いて3桁ジーンズばかりを買い漁っていないで、たまにはパッとお金を散財するというのは、世のためになることなのだ。ビバ、消費!(こうやって書くと、LOHAS のやり方みたいに映るけど)
それにしても、明日は何を飲めばいいのか……?

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これは、去年の落ち葉だ。
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組織の病気 ~鬱病~
2009/11/24(Tue)
夫ここ2週間ばかり残業残業で心身ともに参っている。仕事が片付かないものだから日曜も出勤してきたし、月曜も出勤してきた。
そんな状況で最近思いつづけているのは、「ああ……こりゃなるわ」ってことで、つまり鬱病になるのも間近ということだった。
もちろん、私は1月末には退職して、晴れて自由の身になれるわけだから、それまで我慢すれば、という条件を自分に言いきかせて歯を食いしばっている。それでもしかし、普通の会社員たち(定年まできっちり勤め上げようという心づもりのたいていのサラリーマンたち)はどうやって病気にならずにすませているのか、不思議だ。

私の職場のすぐ後ろの席にいる同部署のA さんは、(精神的な)病気で4~5年休んでいて今年になってやっと復活できた人で、会って10日でその能力が並ではないことに気がつかされるくらいの人物。英語の読み書きはもとより、「超」がつくほどの論理的思考ができ、会社の法律(日本の法規より厳しい場合もある)に精通している。そのうえ、細かな心配りのできる人で、その性格は「底抜け」と言ってもいいほど明るい。
私はこの人と会って、「鬱病」という病気に対する見方を180度変えた。よく、「鬱病はマジメな人がなるんだよねえ」という言説があるが、そこには同情や憐れみの割合は少なく、「自分たちみたいにうまく立ち回れるようでなくちゃ」という優越感がたいてい感じられる(かく言う私だってそのくらいの気持ちでいた)。でも本当はそう発言する人たちは、そう発言することによって自分たちを正当化しているのではないか、とも思えるようになった。上の言葉には、口にはされないが以下がつづくのではないか。「……だから、仕事なんてテキトーでいいんだよ」と。
それでは、鬱病になる人たちは仕事を命と同等に考えているのだろうか。答えはNo だろう。起業したのならともかく、誰も仕事のために命を投げだそうなんて夢にも思っていないはずだ。テキトーとはいかないまでも、そこそこにやれればいい、くらいに最初のうちは思っていたのではないかな。
だが、仕事が個人の手の内に収まらなくなってきて、かつ周りに理解者あるいは協力者がいない場合、傍からは考えられないくらいの孤立感に襲われる。そして、彼/彼女は幻滅・絶望・無気力・無能感の沼に静かに飲み込まれていくことになる。声も上げられずに。いや、声を上げられない者が飲み込まれていく、という言い方の方が正確かもしれない。

そのA さんがいま、再び危ないことになっている。
その原因はたった一人の男に対する会社の態度に起因している。
その男(54)は、一千数百万の年収をもらいながら、ほとんどの仕事を放棄している。能力がないのだから仕方がないと開き直り、数々の〆切を破り、重要事項であるにも関わらずその内容を示したメールすら読まず、毎日ほとんど何もしないままに机の前にすわっている。英語の勉強をしているということだが、根幹の日本語能力が低いものだから何を覚えようとも意味がないということを、もちろん本人は理解していない。
通常なら、こういう人間はクビになるのだろうが、私の会社ではそういうことは起こらない。理由はいろいろとあるのだろうが、要は会社にはまだ余裕があって、ヘタにクビにして訴訟問題を起こされるより(私の会社でも実際に解雇問題を三十年以上争っている例がある)は、穏当な態度をとりつづけその代償としてひとりあたり千数百万円を払いつづければ問題ないとしているようなのだ。
おかげでその上司が関わっている最重要プロジェクトの仕事が、他部署であるにも関わらず私のところに舞い込んで来ている。その無能男の上司が私の前のボスという繋がりのせいもある。
私の比類なき有能さ(当社比)で、これまでは雨のように降ってくるリクエストの処理をこなしてきたが、それにも少し翳りが見えるようになった。というのも、私自身が別の重要なプロジェクトに関わっているからだ。
私が「ちょっと限界ですね」と前ボスに告げると、今度はA さんにその仕事が振られるようになった。しかしA さんはA さんで、部署内の仕事を抱えその〆切に終われている毎日で、とてもじゃないが、その余裕はない。ないのだが、持ち前の前向きな考え方から新しい仕事の処理の仕方を考察し、私と協議の上なんとか算段がつくと全力で取りかかり始めた。
よく「仕事が忙しい」というが、終わりの形が見えていれば人間の精神的構造としてなんとかそれを受け容れられるようになっているのだと思う。ところが、終わりが見えない場合や、あるいは終わりだと思っていたのに全然違う問題が出来してはじめからやり直すことになった場合などは、体力よりもまず、精神がやられてしまう(たしかフランクルの『夜と霧』に似たような話があったんじゃないか。読んでないからわからないけど)。
いま私とA さんと前ボスが必死になって関わっている仕事は、はっきりいって不毛だ。それはみんなが理解している。それでも、海外にいるアホどもに対してアホでもわかるレポートを仕上げるために、不毛な作業を日夜つづけている。そして、その不毛性が私たちの精神を徐々に蝕んでいっている。これも、元をたどれば54歳男が今まで仕事をほっぽり出しつづけ、それを会社が無視しつづけてきたツケが回ってきているのだ。
いわゆる「空気が読めない」という言葉に代表されるように、日本にはムラ社会文化とでも言うべき仕組みがあり、そこから除外されない限りは、それなりにうまく機能する(除外された例として、イジメ、パワハラ、セクハラ等)。ところが私の会社には中途半端な輸入物の個人主義が導入され、なおかつ個人主義につきものの成果主義が伴っていない。簡単に言ってしまえば、変形共産社会みたいなものだ(共産社会の理想部分は私も買うんだけどね)。

抽象的な話として、国が大量消費・競争社会を推進してきたから、現状のような格差が起こり、競争から落ちこぼれる者が出てきたという論があるが、それはちょっと言い過ぎじゃないかと思う。というか、すごく耳当たりがいい話だよな、と思う。鬱病もきっと上の論議の対象となるのだろうが、国家を持ち出す以前に、会社組織の人間関係なんかの方がよっぽど影響度が大きいと思うのだがどうだろう。
国家が悪いということになれば、政治家や官僚だけが悪者で、その下にいる一般庶民たるわれわれにはいささかの非はない、ということになるのは当然の帰結だ。だが、隣の席に死ぬほど仕事を抱えている同僚や部下がいるというのに、「うまく立ち回れ」ないという理由だけで無視しつづけてきた人たちに責任がまったくない、というのもちょっとどうかと思う。法的な責任なんてなくともよいが、社会的な責任を感じてほしい。それは労災認定などとはまったく別次元の問題だ。
きっと、上に挙げた54歳男も一種の病気なのだと思う。無能と書いたが、もともと能力がないのに過大評価をされ管理職になり、周りの助けもあって今までなんとかやって来られたのだが、それにも限界が来て今は会社を挙げての総スカンの対象となっている。元来が鈍い人間ではあるのだろうが、それだってバカにされ貶され無視されていることに気づかないわけはない。開き直りは必死の自己防禦だろうし、もしかしたら「鈍さ」自体も擬装なのかもしれない。病状の表出としての無反応ということもあり得る。
しかし私たちは、その彼を踏み台にして精神的にラクになる道を選択している。彼を蔑み、嘲笑い、徹底的に馬鹿にすることで、自分たちをなんとか保っている。少なくとも私は意識的にそうしている。「会社組織の責任」と上に書いたくせに、自身にそれを適用させていない。ここには書かないが、私にはそれを逃れる自前の論理を用意しているからだ。もしそのことに罪悪感を感じ始めたりすれば、ジレンマに陥り、精神的平衡をすぐに失ってしまうだろう。

会社を経営する人物あるいはマネージメントに関わっている人物であるなら、組織に蔓延する病的状況をしっかりと把握してほしいものだ。私の職場では「変形共産社会」の弊害に悩んでいるが、また違う職場では日本固有のハラスメント状況に悩んでいるところも多いだろうし、あるいはまったく別種の問題に直面しているところもあるだろう。そういう問題を「国のせい」だと棚上げせずに、ぜひ個々に取り組んでほしい。
私は幸いにして現況から離脱できるが、残されたA さんや前ボスたちはどうなるのだろうかと心配でならない。54歳男のことは心配していない。彼のことは(理窟では彼もまた大変だと知っているのだが)どうとも感じないという処理をすることに決定しており、そこにいささかの後ろめたさも感じていない。散々迷惑を掛けられているという憎悪が私の中に残っていて、それが私の後ろ押しをしてくれるのである。
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世界はきっとスマートになんてならない
2009/11/08(Sun)
夫Windows Media Player の使い勝手が悪いので、今更ながらiPod を購入した。
さて、これで音楽の整理ができるぞ、とWMP 上にあった音楽ファイルをすべてiTunes に移すことにした。起きているときはPC をフル稼働にして、だいたい2週間くらいで、全体の半分が終わったというところ。私はたいして音楽に思い入れも深くない方なのでこれくらいで済みそうなのだが、DJ なんかの場合はもう大変なんてもんじゃないだろう。まあ他人のことだからどうでもいいのだが。
整理の目処がついたので今日、iPod にいくつかのアルバムを落として聴いていたら、変な雑音が!
初めはiPod 取り込み時にエラーが発生したのかと思っていたのだが、どうやらWMP からiTunes に移した段階でエラーが起こっていたらしい。iTunes に移した段階でWMA ファイルは削除している。そして、元ネタになった肝腎のCD はレンタルしたもので、現在手元にない。

これですよ、デジタルの罠。有頂天になったところでひょいと足下を掬われるんだ。
そりゃ昔に較べれば、たいした時代になりましたよ。目の前に演奏している人がいなくたって、音楽が聴けるようになったんだもの。自転車に乗りながら、電車に乗りながら、あるいはベッドの上に寝転びながら、ギターだの、トランペットだの、はてはパイプオルガンの音色に耳を澄ますことができるようになり、確実にテクノロジーが人類を幸せにしていますよ。
けれども、おかげさまで生演奏の熱狂を味わうチャンスが減ったとも言える。だいたい「生演奏」という言葉自体、録音技術が生まれる前までにはなかったはずだ。今の子どもたちは、楽器は生身の人間が演奏するものだと聞いて驚いたりして。「え? 全部コンピューターが計算してスピーカーから出力しているのかと思ってた」って。
いくら「昔の人間」と言われようと、私は電子的なものに対して極めて懐疑的だ。
レコードはまだいい。溝が目に見えるからだろう。テープもまだいい。あの頼りないぴろぴろしたものが、なにがしかの実感を伝えてくれる。CD にはちょっと警戒が必要だ。あのきらきらした円盤に音楽が詰まっているなんて、100年前だったら冗談にしか受け取られないだろう。現に、CD を使って音楽を再生している技術をちゃんと一から十まで説明できる人間なんて世の中にどれくらいいるんだ?
そして、MP3 ファイル。もはや何がなんだかわかりません。何万曲も保管できて、一瞬にして検索ができて、しかも再生回数に応じてお気に入りリストを作ってくれる。もう、なんでもPC がやってくれますよ。一種の魔法だね、これは。もう少しすれば、ついでに感動することもPC が代替してくれるんじゃないか?

いま、大学や公的機関においても映像や音声情報が電子的な形で保管されつつある。もちろん、その目的は、当該情報の半永久的な保存に決まっている。
しかし、今の保存形式が必ずしも未来の再生形式と一致するとは限らない。近未来ですら、それは断言しかねる。簡単に言えば、Wii にファミコンカセットの差し込み口がないため途方に暮れるといった感じだ。Wii が20年後の一般再生機器。ファミコンカセットが現在の保存形式。
さて、「半永久的」を実現させるのは実にたいへんだ。A という保存形式からB という保存形式に変更するとき、そして、B からC に変更するとき、全情報に一斉に変更が加えられる。それは今の技術サイクルからして、10年に1度という頻度かもしれない。そしてその一斉変更が、エラーもなく、ノイズもなく、漏れもなく、紛失もなく、100% うまくいくと誰が信じられる? われわれは、既に年金において同じ問題を体験しているのだ。それに、保管・バックアップ用のハードディスクの寿命は驚くほど短いというオマケまでついている。
上記をひっくるめて、たとえ情報の完全性を保っていようと、その維持費は尋常ではないと言えるだろう。電子化していいことばっかりというわけではないのだ。
ちなみに、これが書籍についてだったら、棚にぽんと置いておいて、あとは適度な湿度管理をすればいいだけ(当然、話を単純化していますが)。場所は取るけど、手間は要らない。実に簡単な話だ。

IBM のCM で、世界がもっとスマートになるために、と得意気にしゃべっているのがあるが、くだらないなあと思う。「スマート」は「賢い」と言い換えても問題あるまい。それにしたって、やっぱりくだらないなあと思う。
効率化を目指して598円のジーンズや598円のワインを作るとして、それを作る人たちの賃金はいったいいくらくらいなんだろうか? 彼らは豊かになるのだろうか、一番の魅力がその賃金の低さだというのに? 彼らが賃金の上昇を要求したとき、それに世界が「Yes」というのだろうか? あるいは焼き畑農業のように、もっと賃金の安い生産地を探しはしまいか? そして、5,980円のジーンズや5,980円のワインを作っていた人たちが、値段の桁がひとつ違うそれらに駆逐されて失う収入はいくらなんだろうか? 合理化・効率化の究極は、消費以外のすべてのプロセスにおける全自動化なのではないか? 人間なんて要らないんじゃないか? ロボットばっかりの世界で「おれさまは賢い」と笑っている人間は本当に賢いのか?
CM のコピー相手に怒っても仕方ないけど(スマートグリッドという概念もあるし、「スマート」は一種の流行語なんだね)。

CM のコピーで思い出したけど、NTT コミュニケーションのCM も嫌だな。「世界とつながっているってどんな感じ?」と子どもに訊くと、「その質問自体がちょっと古いと思います。だってこの時代、つながっていないことの方が少ないじゃないですか? 逆に、世界とつながっていない頃ってどんな感じだったんですか?」とその子どもが答える。
その子どもの質問に対して、私だったらこう答えてあげるな。
「繋がっていようと繋がっていまいと、他人に対する優しさなんてあんまり変わっていないよ。毎日、餓死があったし、自殺があったし、殺し合いがあったし、今もそれらは全部ある」

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被写体が何だかわからない? いいんです。女子カメラなんだから。
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いきなり冬!
2009/11/05(Thu)
夫いま、妻と母は北海道にいて、月曜の夜には零下4度という気温を体験したという。しかし、まだまだ11月のこと、そのくらいの温度は道民にとっては屁みたいなもんだろう。
宮本常一の『民俗学の旅』を読んでいたら、敗戦直後に大阪から北海道に行って(連れて行かれ?)開拓に挑んだ人たちのことがちょこっと描かれていた。また、奈良県十津川村から、やはり北海道に移住して新十津川村を作った人々の話もでてきた。この話は以前妻から聞かされていて、奈良県民には有名な話らしいが、移住してしばらくのあいだは、おそらく開拓が充分でないまま冬が来たために仕方なく土地を売って漂流民になった者も多く、当地では「十津川衆」と呼ばれていたという話はそんなに知られていないのではなかろうか。なんとも壮絶な話だ。
そういうものに較べれば、今朝の急激な「冷え」なんてたいしたことなかろうと高を括っていざ出勤。原付とはいえ、1分で気持ちが折れました。バイクに乗っている約二十分とちょっとのあいだ、ずっと「さみーさみーさみーさみー」を繰り返していました。
残業を終え、家には直帰しないで近くのユニクロに行って下の製品を購入。いやー、実はこれ、ずっと前から欲しいと思っていたけど、なかなか手に入れられずにいた。気づいたときには売れ切れているんだよね。タイツという商品名になってはいるが、要は股引。ただ、店に行って知ったのだが、今やいろいろな色が出ていてちょっと驚いた。紫とか濃緑とか、誰が履くのかね? まあ面白そうだから買おうかとも思ったけど、とりあえずはスタンダードな灰色で。
20歳前後の頃には、いくつになろうと自分が股引を履くとは夢にも思わなかったなあ。絶対に「伊達の薄着」を通してやると思っていたもんです。たかが股引とは言うなかれ、おそらく私のちょっと先には「オヤジロード」という急斜面が控えており、転げ落ちるのはあっという間なんだろうね。

(追記)
いやー、これほんとにあったかいです。しかも、このタイツって思いのほか気持ちのいいもんです。女性はその恩恵にいつも与っているわけだけど、男も試してみるべし。外で働く人、たとえばテラス席のあるカフェで働くサービスマンなんかにもオススメです。

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恰好より機能性。
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11月19日(木)にボジョレーヌーヴォー解禁
2009/11/04(Wed)
夫仏酒法、葡萄酒新酒解禁日、例年霜月第三木曜。
今月末に簡単なホームパーティーが控えているのだが、そのときの飲み物にボジョレーを入れようと考えていた。もうヌーヴォーの季節になってしまったが、最近は飲むことすらしないので、ちょうどいいやという思いがある(去年は1本飲んだかどうか、という程度)。
たしか、近所の場末の匂いがプンプンするコンビニでは、つい先々月くらいまで去年のヌーヴォーが置いてあったような気がする。今の金銭感覚からすれば、2,000円を少し上回るワインというものは、ワイン屋で見れば安いけど、コンビニで見ると不当に高いような気がして到底手を出す気にはなれない。売れ残っているところを見ると、近所の方々も同じ考えのようで。
さて、ボジョレーなのかボージョレなのかというのは結構迷うところだが、どっちにせよ日本語でフランス語を表そうとしている段階で「正確な表記」はあり得ないのだから、どっちでもいいとするしかない。ちょっと昔までは日本に「ディ」の音はなく、だからその頃の建物には「ビルヂング」と表記することが多かったという事実は、表記の曖昧さ、あるいは「流行」を明瞭に証明するものであろう(最近では、「v」音を正確に表記しようとして「ヴ」がよく遣われる。「ヌーボー」から「ヌーヴォー」、または「バイオリン」から「ヴァイオリン」のように。つまり日本語の中でヴ音が定着しつつあるということになる。この流れでいくと、「th」音や、もしくは「r/l」の表記分けが出てくるかもしれない)。
上に「流行」と書いたが、ざっと思いつくのだけでも、ヴァセロン・コンスタンチン(高級時計ブランド)→ヴァシュロン・コンスタンタン、モンクレー(高級ダウンブランド)→モンクレール、ルミノール(バスクシャツブランド)→ルミノア、等がある。「だから今は○○と表記しているものが、将来××と表記することになったって別に驚くこたあないんだよ」という小賢しい内容のメールを、以前とある女の子にしたことがあるが、それから数年経った今も表記変更は行われている。
たとえば、ワインメーカーのCordier 社の読みがそれで、80年代の本には、「コーディア」とあり、それが90年代、2000年代の前半(?)くらいまでは「コルディエ」になり、また最近、「コーディア」と表記している雑誌が出てきた。フランスにあるからといって創業者の名前がフランス読みするとは限らないので、これはもう現地人の発音を確かめるのが一番早いだろう(考えてみれば、上に挙げた例も全部フランス読みか否かに関わる例だ)。
また、上とちょっと似た話になってくるのだが、有名なソムリエナイフブランドに、SCIP 社の"Chateau Laguiole"(IE ではアクサン・スィルコンフレクスは表記できない)と、Forge de Laguiole 社の"Laguiole"いうのがあり、これらは、前者を「シャトー・ラギヨール(あるいはラギオール)」と読み、後者を「ライヨール」と読むらしい。ちなみに私は後者を所持していて、サービスマン時代から両者をちゃんと呼び分けていたが、その情報源は丸ビルの業務用エレベーター内における高級フレンチのサービスマンたちの交わしていた蘊蓄話だったので、正確とは言えない。Laguiole を「ライヨール」と呼ぶのは、フランス語としては特殊な読み方だが、なんでも方言らしい。フランス人でもなかなか読めないそうな。

ワイン繋がりで言えば、このあいだBS でコロンボの「別れのワイン」が再放送されてちょこちょこと見た。その中で、ワインメーカーの社長(犯人)が、ワインを知らないコロンボにその知識を披瀝するシーンがある。うろ覚えで正確ではないが、そこで以下のような内容を話していた。

犯人: 「つまり、コロンボさん。ワインにはいろいろと奥深い歴史があり、それを知るためにはいろいろなことを覚えなければならんのです」
コロンボ: 「はい、よぉくわかりましたよ。(出されたワインを飲んで)で、これ、なんてワインです?」
犯人: 「カビニー・スーベニヨンです」
コロンボ: 「カビニー・・・?」
犯人: 「カビニー・スーベニヨン」
コロンボ: 「カビニー・スーベニヨン。これは覚えました」

今でいえば、「カベルネ・ソーヴィニヨン」(*註)と言うだろう。
*葡萄品種のひとつ。それがワイン名なのはアメリカならではで、ヴァライアタル・ワインだから。varietal をweb の英和辞書で調べると、それ自体で「品種もののワイン(名詞)」と出てきます。ただし、この読みは、発音記号を見る限り、「ヴァライァタル」でしょうね。web 上では「ヴァラエタル」と表記している方が多いようです)

数年前に、オーストリアの駐日大使館から、国名の日本語表記を「オーストリー」に変えるという発表があった。その理由は「あまりにも、オーストラリアとの混同による問い合わせが多いため」。「オーストリー」の顛末がどうなったのかはわからないが、このように、いろいろな理由で表記の変更はある日突然やってくる。
ちょっと前に、鍼灸関係者から、「お灸を据える」という言葉は灸のイメージを低下させるという理由から遣うなという意見が出た。また、差別を助長するということで「メクラウナギ」はいなくなった。百年単位で遣われてきた百姓という言葉は放送禁止用語だし、また、ビジネス関係の人間たちが仕事がデキている気分を味わいたいがためだけに、多くの言葉が横文字になってしまった。そんな情況にある私たちは、もはや単純にコロンボの事を笑えなくなっているのではないだろうか。
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これも女子カメラ・・・、のトーンじゃないな。予想以上に大きかったチンパンジー。
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きっちり/たいがい/やっかい
2009/10/27(Tue)
夫当たり前に遣っているけど、それを遣いだしたのは最近じゃない? という言葉はいっぱいあって、これをちゃんと考えていくと実は面白い。
私からすると、以下の言葉が最近気になっている。
きっちり
職場の尼ヶ崎出身の上司がよく口癖として遣っているなあと思っていたら、その上司の影響か、うちの職場では流行っている。でも、この言葉は三十数年関東に住んでいる私はほとんど聞いたことがなかったんだよねえ。違和感があるので私は遣いません。妻にそう言うと、「じゃあなんて言うの?」と訊かれた。そりゃあ「きちんと」です。
たいがい
「きっちり」もそうだが、意味がわからないわけではない。この「たいがい」だって「大概」という字から見ても「おおよそ/おおむね」の意味であることはわかる。けれど、これもあんまり遣ったことがないんだよなあ。私の感覚からすると「たいてい」の方が多いです。
やっかい
私の上司が尼ヶ崎で、妻が奈良五條なもんだから、ここ数年で急に関西弁が耳に入るようになってきた。そういういきさつがあったもんだから、最近耳にしだした言葉についてはわりと意識的であって、この「やっかい」という言い方も、耳新しい。「いやあ、これはちょっとやっかいだぞ」とか「やっかいだなあ」とか。これももちろん本で読んだことはある単語だが、自分で口にしたことはない。その代わりに言うとしたら「めんどうだ」とか「めんどくせえ」でしょうか。

方言には古語がまだ残っているので勉強になる。昔、九州宮崎の女の子が「怖い」というのを「おじー」と言っていて、「ああ、だから『怖じ気づく』っていうんだなあ」と感動した記憶があります。そういう言葉がなくなってしまって、日本全国どこもかしこも「こえー」って言ったらちょっと興ざめですね。
上に挙げた3つの言葉が関西発祥なのかはわかりませんが、ちょっと面白いので私としては記憶に残していたい。関東でも普通に遣われるのに単純に私が聞いたことがなかっただけかもしれないし。
おまけとして、関西の言葉が席巻して関東の言葉を駆逐した例。
「風呂」っていうのは関西発の言葉ということをかつて聞いたことがあります。じゃあ関東ではなんて言ってたのかというと、単純に「湯」。そう言えば江戸前落語ではたいてい「湯」で出てきますね。
「ちょいと湯ゥ入(へ)ェってくるよ」とか「湯屋(ゆや)へ行こうかィ」とか。これを「ちょいと風呂へ入ェってくるよ」とか「風呂屋へ行こうかィ」と言ってしまえば、江戸じゃなくて明治を表すことになってしまうかもしれません。
ちょっと前に見た林家たい平の『湯屋番』(←題名からして湯屋)はすごく面白かったが、この中で、若旦那の妄想中の年増の姐さんが、若旦那が(妄想の中で)その家を訪ねていったとき、こんなことを言っていた。
「まァ、お湯屋の兄ィさんが来たなんてどうしましょう。お湯屋の兄ィさん、お湯屋の兄ィさん」
この「お湯屋の兄ィさん」が最初どうしても聞き取れなかった。「おいやのにいさん、おいやのにいさん」としか聞こえないのだ。だが2回目で(結局このビデオは通しで4回観た)、ああこれは「お湯屋」と言っているんだなとわかった。そして、それくらい「湯屋」という言葉は馴染み深くなくなっているのだなあとしみじみと感じ入りました。まあ、生まれてこのかた実際に「湯」とか「湯屋」としゃべっている人を、噺家以外に聞いたことはないのですが。

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意外と愉しい、女子カメラ。
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かぼちゃの潜在市場でもあるか?
2009/10/20(Tue)
夫17日の土曜日、弟のガールフレンドと、ハロウィンは日本じゃどうしても流行らないんだよね、という話をした。そのときの話では、「ロフトとか東急ハンズがいっくら頑張っても、結局文化として根付いていないからいつも不発で終わってるんだよ」という結論で、その解決策として「もっと子どもたちにお菓子をばらまかなきゃだめだね」というところでお互いの意見の一致を見た。
ところがだ。18日のYahoo ニュースで「ハロウィン「お菓子市場」急成長 パッケージ特別仕様も続々登場」という文字が躍った。
どうでもいいニュースなので掻い摘むと、要は2000年あたりからハロウィンは日本でも流行っていて、特に「06~08年の2年間で(菓子市場の規模は)4倍に跳ね上がっている」そうだ。主な製菓メーカーとハロウィン仕様のパッケージにした主な製品は以下の通り。
ロッテ: 「コアラのマーチ」「トッポ」「クランキー」「チョコパイ」
森永製菓: 「チョコボール」「パックンチョ」「ハイチュウ」
江崎グリコ: 「ポッキー」「プリッツ」
なあんだ。「根付いていない」どころか、しっかり認識されるようになったんだね、と思ったのもつかの間、なるほど、このニュースを含めてまでが、ハロウィン・キャンペーンの一環なのだと邪推。
ま、私の邪推は別として、認知が広まった主な理由として、上の記事は「ディズニーランドで行われているパレードや東京・原宿で開催されているハローハロウィーンパンプキンパレード」が火付け役になったのではないか、と推測している。どっちも、見たことも聞いたこともねえよ。

ところで、ハロウィンの決まり文句として「Trick or Treat!」ってのがあり、これの名訳が生まれないと、完全な文化としての定着はないだろう、としつこく粘ってみる。最悪なのは、「トリック・オア・トリート!」ってそのままの文句が流行ることね。こんなの、はっきりいってエセの感覚だ。わかった気分になっているだけ。「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」っていう映画タイトルを見せられたときのようにげんなりしてしまう。
「お菓子くれなきゃいたずらするぞ」ってのが普通の訳のようだけど、問題は、原語だと頭韻を踏んでるんだよね。そこに子どもたちは面白味を感じて、ケラケラ笑いながらこれを何度も叫ぶんだろうと思う。
「アマイの、コワイの、どっちがいい?」というのが、私の案だけど、つまらない上にちょっと苦しいかな。アマイ/コワイで、両方とも「ai」の音を踏んではいるけど・・・。やっぱり、名訳が待たれますな。

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ここの花壇は近所の方がボランティアで季節ごとに花を植え替えている。
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ドコマデサガルカ、ドコマデサガルカ
2009/10/15(Thu)
夫最近、西友の激安ジーンズのCM をよく見る気がするが、なんだか耳に残る。気づいたら鼻歌でこれを歌っていることもある。鼻歌のレパートリーが貧しいのだ。
それにしても、850円というのは驚きの価格と言わざるを得ない。企業努力と呼べないこともないが、どこを抑えるとこの値段になるというのだろうか。しわ寄せが(西友以外の)どこに行っているのか気になる。
……と思っていたら、先日ドン・キホーテが690円ジーンズの発売を発表した。

実は、ここらへんの価格設定というのがいまいちわからない。元はユニクロのファーストリテイリングのグループ会社(?)が980円ジーンズを発表したのが、一連の低価格ジーンズのブームのきっかけらしいのだが、だからといって低価格ジーンズの後発が、たとえば1,080円じゃいけないと誰が考えるのだろうか? 
そりゃあ、インパクトは違うだろうと思う。980円ジーンズの次に、a) 1,080円ジーンズを発表するのと、b) 880円ジーンズを発表するのとでは。a 案ではニュースにもならないかもしれない。だが、ジーンズは非耐久消費財であるとはいえ、本来は数年にわたって履くものであり、たとえば36ヶ月(3年)履くとしても、980円(減価償却費/月: 27.2円)と1,080円(減価償却費/月: 30円)とでは大差ない。というか、私には大差なく感じられる。
消費者としては、月換算にして2.8円の差は実に微々たるものだが、販売する側としては、明らかな薄利多売戦略におけるこれらの差はものすごく大きいのではないか。双方が10万本づつ売ったとして、その差はなんと1,000万円にもなる。マネーインパクトはでかい。
もちろん、これらの商品を目玉として小売りの店舗に集客するという目的や、生産-販売のライン整理など、単純に売上価格からは測ることのできないメリットがあるのだろうが、それでもこの1,000万円を私なら捨てはしないな。ここを機に、消費者志向の方向転換を図ればいいのだ。

スーパーの折り込みチラシに、よく「98円」とか「198円」という赤い文字が躍っている。この数字に気づいたのは忘れもしない18歳の春で、バイト先の物知り社員に「なんでこんなヘンな数字なんですか」と訊いてみた。そのときの答えが「これはね、こういう数字の方がお得感が出るし、特に98円とか980円の場合だと、ケタがひとつ下がるだろ? 消費者がダマされるんだよね」というもので、なるほどなあと思った。
ところがだ。25歳の夏に、とあるソムリエからこれまた面白い話を聞いた。
「ワインの値段ってね、ヨンパチ(4,800円)とかキュッパッチ(9,800円)とかにすることが多いんだけど、入り値(仕入れの値段)上どうしてもそういう数字にできないのがあるんだけど、そういうのは実は狙い目なんだぜ。たとえばゴーゴー(5,500円)とかイチイチ(11,000円)とかね」
この意見にも「なるほどなあ」と思った(なお、当時は税込み表示義務がまだなかった)。
私が知っているワインの値付けの仕方は、「入り値×a (定数)」という単純計算で求める(本当は、入り値がある一定の数字を超えるとa は逓減していく)。その計算で出た数字によって、たとえば答えが9,400円になったものには、400円プラスして9,800円にしたり、その逆に600円マイナスにして8,800円にしたりするが、その判断はソムリエの感覚に依るところがかなり大だ。その値付けの結果、わざわざ11,000円にしているという点に、換言すれば4ケタに落とさずにわざわざ5ケタを維持しているという点にソムリエの自信が伺われ、その実額1,200円以上の差がそこにはあるはず、というのがそのソムリエの意見だった。
それ以来、「ケタの境目」で迷った際には、必ずケタの多い方を選ぶようになった。その真偽のほどはともかく、上のような解釈による「お得感」というのも消費者によっては必ずあるはずなのだ。要は意識付けの問題だと思う。千年一日980円を「お得」と思っている消費者なんてダサい! そう思わせる戦略がうまくいけば、たとえば低価格ジーンズのパイオニアではなくフォロワーになろうとも、わざわざ130円や290円という値下げをしなくてもよかったのではないかと思う。たとえば、今の段階で1,500円の「高品質ジーンズ」をうまいプレゼンテーションを絡めて発表してみたらどうだろうか……と書いてみて、既にユニクロがやっていること自体がこれなんだな、と気づいた。つまりg.u. (980円ジーンズを発売したところ)というブランドがユニクロのディフュージョンラインになっている。値段が安すぎてなかなか気づきにくいのだけれど、ワインで言えばフラッグシップに対するセカンドワイン、ファッションでいえば、ジョルジョ・アルマーニに対するエンポリオ・アルマーニということ。ユニクロ自体の値段を上げずに、ユニクロを高級品扱いにしてしまったわけだ。まあ、パイオニアだけあって、もっと先の先までを見越しているんでしょうね。いやはや敬服いたします。

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最近写真を撮っていない。ネタ切れももう間近。
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ヱビス琥珀/COEDO/IKEA
2009/10/13(Tue)
夫私の好きなエビス琥珀が一週間ほど前から発売されました。
この「琥珀」、数量限定のためおそらく年内にはなくなってしまうと思いますが、楽しめるだけは楽しみたいと考えています。
「ビールはなに飲む?」と訊かれると、ちょっと前までは「エビスの琥珀、それがないときはプレミアムモルツ」と応えていました。すると必ずと言っていいほど「おごってやがる」と言われます。でも、私はこれ以外のビールはほとんど飲みません。というより、ビールをほとんど飲みません。「琥珀」がないときは、月に1本飲むか飲まないか程度です。ですから、年間にしてビール代は三千円もしないと思います。反対に、いくら安い発泡酒を飲もうと、ダース単位で飲んでしまえばビール代もバカにならないことでしょう。どちらを選択するかは人それぞれの好みですが。

上で「ちょっと前までは」と書いたのにはわけがありまして、現在は「プレミアムモルツ」は飲んでいません。2、3年ほど前にとある本から「サントリー社長(当時)の東北熊襲発言」問題を知ったからです(それについてはここでは触れません。興味のある方はたぶんネットで調べられますので、どうぞそちらへ。おそらく東北の方なら知っている方も多いのではないか)。
それ以来、飲むものがなくなってしまい、ますますビール離れをしていたのですが、去年頃、埼玉の地ビールの「COEDO」という存在を知り、非常に気になっています。ですが、このビール、なかなか売っている場所がなく、Online で買おうにも、最小単位が6本のため手を出せないでいます。
上記リンクからぜひサイトを訪ねていってもらいたいものですが、ものすごく出来がいいサイトです(ところどころ「工事中」なのはご愛敬)。「地ビール風情が」とバカにしちゃいけません。パッケージからフォントに至るまで、トータルデザインされています。

先日妻とIKEA に行ったとき、店内のいたるところに書いてある「広告」(佐藤尚之だったら「コミュニケーション」と言うのかもしれない)があって、それを見るのが非常に面白かったのですが、その中に「わたしたちは、プライスタグから作ります」というような内容がありました。つまり、値段を先に決めて、それからデザイナーがその商品をデザインしていく、ということで「なるほど」と感心した記憶があります。
「琥珀」も少しデザインが変わったようですが、高級品を売ろうとするなら、まずパッケージから、ということを頭に入れておいた方がいいかもしれません。ここでいう「パッケージ」は、マーケティング等で語られる「パッケージ」とは多少異なるかもしれません。私が考えるパッケージとは、包装だけではなく、価格や販売経路を含めた、生産者の手を離れてから顧客の手にわたるまでのプロセス全体を指しています(なにせその方面の勉強をまったくしたことがないので、感覚だけで物を言っていますのでご容赦ください)。その全体がイメージできていなければ、とてもじゃありませんが、顧客の満足のいく付加価値を提供できるとは思えません。運送業者や、売り場のディスプレイまでを含めて、戦略を練っていかなければならないのでしょう。
われわれが将来作る野菜なり果樹なりも、そういう戦略に見合うものになればと思っています。

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シンプルになった気がするが、それでいい。この時代、「削ぎ落とす」デザインの方が旬だと思う。
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